メモ

避難所。

ずれる

なにがだろう。


なんか、今日は、体調とか心とか、そういう慣れ親しんだものの変化じゃない。



頭がゆれてる



ゆれると、なんか、重心がずれて。
何回もゆれて、そのたびに重心が偏って。


ほんの1ミリ、ようやっとズレるみたいな。



気持ちが悪い。


何してんだろう。あたしの中身。




なにがしたいんだろう。





なんか変なのに、考えられないから。
友人に取り寄せてもらった本を読んでいる。




一昔前に完結して、一部では相当ファンが付いたラノベなんだけど。
すごく、考えさせられるというか。



王様と周囲の人間関係。


王様の心の動き。



とくに、人物の掘り下げが加速した終盤は、面白いとか素晴らしいとか
そういう感想じゃなくなった。



知ってるもの。
見ないふりをしようとしているもの。



結末が知りたいから夢中で読んでるけど。
物凄く、泣きたくなる。



ワンスアポンアタイムと同じだ。



何が正しくて、何が悪いのか。
その基準は何なのか。
いったい誰が決めるのか。



こういう物語は、公式正義側が、どれだけ考えが足りなくて
どれだけ自分勝手で、だからこそ迷いなく、悪者役を退治できてしまうんだと。



この物語の主人公である女の子は、かなり正義の味方だ。


だけど、相方になる王様は。


王様を取り巻く臣下たちは。



日の光に照らされて歩くことが当然だと、表立った王様の一大事に活躍し、見せ場たっぷりで魅了してくれた臣下たちが、薄っぺらに見える。
正しい事をただ正しいからと、当然のように選べる人は、精神的に健康優良児だ。


だけど、正しくあれなくても、足掻くひとを、とても傷つける。


でも、そうしなきゃ、一個人が成り立ちにくくなる。
だから、やっぱりそれが正しいんだと思う。


自分が足掻く側だから、荷物が少なそうに見える日向の人間を、気楽だなあと遠目に見てしまうだけで。自分が幸せになりたくて必死になるなら、藪を切り開かなければいけなくて、藪がそこにしか生息できない種類だとか気にしたり、確かめたりしてたらいけないんだろう。




大きな壁として立ちはだかった官吏が、どうして壁になったのか。
打ち破った壁を当然のことと弾圧する忠臣たちと、心がずれていく王様。



前に、娘にも言われた。


ママはなんで、漫画やラノベでも、そんなに深く考えることができるの。




それは、きっと。



あたしの中に、何を読んでも観ても、そこから探そうとするテーマがあるから。






心地好いものじゃない。
苦しくなる。




プリキュアの悪役にだって、そこに至るまでの経緯が描写されるじゃないか。



ただ、主人公が乗り越える壁として切り捨てられる登場人物が、何を思って壁になったのかを、考えてしまうのは、別に大して不思議じゃないと思うけど。




常に考えるようじゃ、確かに、作品が伝えたいモノから逸脱したものを勝手に汲み取ってしまうよな。





これは、あたしの悪癖。






友人が取り寄せてくれた本編全巻を読み終わった時、後付けの後伝があるって知って。
自分で取り寄せて読んだけど。



物凄い勢いで流れまくる物語に纏わりつく、王様の不安要素。



それを、しっかり余すことなく、書いてくれていた。




ある程度育ちが良い側近たちと、心の距離が出来ていく王様の穴。



それに気が付いて放っておけなかった、敵軍立ち位置の人物たち。



王様は、敵とか味方とかじゃなくて、自分を知っている人に惹かれて。



でも、最後は主人公が、王様の穴の埋め方を差し出してくれた。





あたしには、今まで読み漁ってきたどんな心理学の本の言葉より、救われる思いだった。





愛し方も、愛され方も、良く分からない人。
知ってるな。
身近にゴロゴロいる。



あたしもそうだし。
父もそうだ。
母も様子おかしい。
祖母も分かってない。
うちの家系は、そこに関しての教育が、控えめに言っても足りない。


娘も。
受け取る事が苦手になった。
与え方も大砲でドッカーンとやらなければ、あたしゃ愛したぜ!って実感が持てない。




主人公が、王様に施したレッスンは。
あたしが叔母の介護をしていた時を思い出させた。



自分が出来る小さなことを、ひとつひとつ確かめるように行う。
それが自分の確認になったのかと思っていた。
確かにそれもあっただろうけど。
白紙のような心境で、人が出来ることを試して歩くなら。
それは初めて歩き出す子供と、近いものがあって。



どんな拙い行いでも、喜ばれること。



フィードバックが確実に必要だったんだなと。



何をしたら主人公を喜ばせられるか分からない自分に絶望しながらも、何にもならない好意を運ぶ王様。



主人公は、それをすべて、喜んで受け取った。



ただ。
それだけ。




介護されるようになった叔母は、お金も無くて、何も返せないのに、おむつを換えてくれるあたしに、感謝していると言ったけど。




ただ、同じ部屋にいるだけでも、嬉しいと言った。
動けない自分の部屋にいて、あんたが疲れたら昼寝して、本読んで過ごしてくれて。
とっても贅沢だって言った。




心細いだろうし、そんなもんかもなと思ったけど。




なんの意図もなかっただろうし。



それでも、結果的に、形としては、あたしに与えたのかもしれない。





そして、それは乳幼児だった頃の娘を育てていた頃を引き寄せる。




あたしは、自分が試行錯誤しながらも働きかけたもので、毎日育っていく娘から、沢山貰ってきたんだと。



添い乳しながら、うたた寝しているとき、涙が止まらないくらい幸福を感じたのは当然のことだった。


人生で一番幸せだって感じたのは、間違ってなかったんだな。




あたしは、実家に来てから、父や母、祖母や叔母たちに与える側でいられるよう苦力してきたんだっていうのも、わかった。



だけど、娘は。
きっと、絶対、物足りない気持ちになることが多くなった。
そうしているうちに、足りないどころか、まるっきり自分には無いと感じてしまったのかもしれないな。




ほんと、やり直しだ。


















もう、休まなきゃ。





よく、わからない自分。おやすみなさい。

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