むすんでひらいて

表向きでは不要なのに湧き出てしまう思いや考察。 自分を暴き、宥める作業。避難所。

毒親とACと自己愛性人格障害と心身症者と

…ここ数年つぶやき系のSNSばっかり使っていたから、勝手がわからなくなってるな。
元々ストレス発散に長文日記ばっかりタイピングしていたのに。



表向きのSNSでは趣味や自分の出来ることで人と繋がりたいとボソボソやってますが。
望んでいるものっていうのはですねー。
今現在手にしていないという事でもあるんでございます。


プロフィールにあるように、あたしはバックボーンが相当面倒臭く。
通常営業の一日…8割強が家族との精神戦です。


上記にあるように表向きSNSは、2割弱から更に削られて1割どうか…っていう
お楽しみや希望を纏う部分を集めて認識したいみたいな。そういう場所です。


リアルタイムで呟くスタイルですと
自分の8割を省いて呟き抜粋するのと、自分が消えるのと
どっちが手っ取り早いかなって話に。


なので、ココを開設させていただいたのです。






基本的に、あたしは今の現状から抜け出したいと足掻くことをやめられないで来ている。
波は激しいけど、自虐的だったり破壊的な思想を持ってしまう時の自分は、定期的にやってくる。吐き出すことが出来ずに溜め込んだものが腐敗するからだと考えている。
ここに逃げ込むということは、息継ぎが出来ない状況が続いて思考回路がやられてしまっているか。
言っても栓の無い事を、吐き出して軽くしたい時。
自分の頭を整理するために、情報や思考を書き並べたい時。


自分の中のキラキラしてるかもしれない可能性を必死にかき集めようとする場所で
どうしても、その場にそぐわない思いが溢れて滲みだし、汚してしまう。


そんなことを繰り返してばかりいるから、自分が望む場所も守れないのだなと。
避難所があったらどうだろう。そう思ったのです。







あたくし、しお。


自己愛性人格障害(疑)である父親と
共依存・コントロール狂である母親の間に作られた3人姉弟妹の長女。


思い出せる範囲の古い記憶でも、保育園児の頃から常にハラハラ周囲の目を意識して落ち着かない子供でした。


保育園、小学校、中学校、高校と、結構な問題児だったはずですが
両親は自分の子供に貼った「明朗快活・しっかり者」というレッテルを妄信し
その大半を知りませんでした。
あたしの言動や気持ちに興味を持ち、知ろうとしたことがほとんどなかったと思います。


住居である実家は、父の両親と叔母と伯母、お婿さんに行った叔父が常に出たり入ったり慌ただしい家でした。


祖母と伯母と叔母は、他県から嫁いできた母を罵り、働かせ、揶揄う。
祖父は高学歴で沢山の資格を持つ知識者。厳格で厳しく、声をかけるのも憚られる人で。


父の中身は祖父に全くかなわない粗末さで。
自分の気分で何の前触れもない無視を、子供相手に半年徹底する事が威厳とか勘違いしている。似非厳格。裸の王様。
する気もない家出宣言を繰り返し、家族に「出て行かないで!」とやって貰う事で自尊心を保つような人。
あたしが中学の頃、父が一晩帰らなかった夜。書き置きを見つけたけど。
俺が居なくなったらどれだけ大変か、俺の有り難みを知ればいい。みたいな事書いてた。


母は、そんな中でパワフルに前向きにヘコタレず、スポ根な人。


家の中は、常に主導権争いの激戦地でした。


あたしは常に怒りを心に住まわせた子供で。
母を守りたかったり、理不尽な出来事に敏感だったりと、息苦しく育ってきました。


小学校の時点で、時々不登校。(家にもいない)
中学になると過食と不眠。幻聴を初体験した時、初精神科。(原因不明と診断され一度切り)
高校になると過食が酷くなり、代償行為が+。嘔吐や下剤、サプリメントの乱用。
社会人になると、極端なダイエットと過食が交互に。立派な摂食障害。



父は仕事を軸に、時間はすべて自分の事だけタイムテーブル。
母は、これまた自営業である仕事を軸に、家族を立てるためのタイムテーブル。


まあ、理由はともあれ。
彼らは決して余裕がある訳じゃなかったのです。
常に優先順位が上位にきているもので、タイムテーブルいっぱいなんで。
父は自分のことで頭がいっぱいだし。
母は家業に姑小姑からの嫌味、家事、小間使い。


だから、両親はあたしが困っていると感じればお金を出してきました。
手っ取り早く解決するには、足りない物を買い足せ!っていう団塊世代っぽさ全開。


あたしが摂食障害最盛期のころ、母が大金をはたいてダイエット食品や漢方薬
下剤の類を大量に買い与えたのがハイライトかな。
夜中に隠れて、コンビニで5000円分もお菓子を買って、泣きながら食べているのを見つかった時も。
お小遣いが足りなくなると困るでしょうって、お菓子の買い置きをダンボールで…これもなかなかパンチある。
食べたいわけじゃないんだと、泣き止めないあたしに困った母は
だったら噛んで吐き出せばイイのよ!と、沢山のビニール袋を置いて仕事に行ったなー。


あたしが若いころは、今のようにネットが普及していなかったし。
心身症…ましてや摂食障害だとかアダルトチルドレンなんて専門的なタグを見かける機会なんて無かった。
その単語を知っていて、調べようと思わなければ辿り着けなかった。


こんなのが日常であるあたしが
社会で心休まる人間関係を築くことはムリゲーですから。



もう、毎日、毎日。


どうして生きているんだろう。
なんで生まれてきたんだろう。
どうしてこんなに苦しいんだろう。


狂う。狂ってしまう。


そういう状態が、ニュートラル。



そういう人生でした。





そんな人生に、疑問を持つきっかけになったのは子供。




あんな状態で、よく結婚だとか妊娠出産だとかまで経験できたもんだと自分でも思うけど。
バイトに明け暮れていた当時の自分は、職場で役目をこなすのが頭の切り替えになっていたんだと思う。
現在は離婚していますので、元旦那になりますが…彼は本当にドンカンだったんだと思う。
歳も離れていたので、不安定なあたしを片時も離さず。同棲することで我知らずあたしを実家から離してくれて。
正体不明のまま結婚して。出産して。



子供が生まれてから、あたしがメタモルフォーゼして。
あたしサイドは勿論、元旦那サイドの問題も浮き彫りになったから離婚しましたけど。
今も子供の事に関しては、協力し合ってます。




自分が子供にしてしまうこと。


声をかけられたら応えてしまう。
今どんな状態かなと様子を窺ってしまう。
自分の言動をまねるだろうと思うと、いろいろ自制してしまう。
笑いかけられたら、笑ってしまう。
泣かれてしまうと慰めたくなってしまう。
出来ないことを頑張っているのを見ると、最後まで見守りたくなる。
子供を悲しませてしまったと気が付くと、申し訳ない気持ちになってゴメンネって言ってしまう。


もっとある。
たくさんあった。
何かが食い違ってる気持ち悪さがあった。


あたしは、実家から離れて、自分の家庭を持つことで知ってしまった。
家族に対して湧き出るもの、メイドイン・しお。



「メイドイン・しお」=「メイドイン・実家」にならない。



子供と触れ合っていると、あたしは心底癒されたから、ホントにもう喜んで裸の付き合いしっぱなしだ。
あたしは両親とそういう「触れ合うことが当然の日常」を知らない。



いつだって…両親は忙しかった。見るからに。理由はさておいて(こだわるぜ)



ここからあたしの人生は更に忙しくなった。



子供に添い乳しながら転寝してしまったとき…あたしは幸せだって心底思って泣いたのだ。
これまでの人生で、一番幸せだって。涙が止まらなかったのだ。



これまでの人生ってなんだったんだって。



切り離されたとはいえ、実家は地元に合って両親は数日おきにやってくる。
これまでの人生で学んだコミュニケーション能力が、入れ替えられたわけでもない。
人との付き合いは、基本的に苦手だし。自分の価値も良く分からない。



そう。良く分からなかったの。自分の価値。
分からないっていうか、無いでしょこれって。
いる意味ある?って。
寧ろ迷惑なんじゃないかって。


なのに、子供が生まれてから、あたしはお母さんで。
子供はお母さんがいないとおっぱいも飲めなくて、お腹が空いちゃうし。
お散歩に連れて行って、いろんなものを見て。
あたしの言う事を真似して。


あたしいなきゃダメでしょコレって。


だから、調べた。
自分のどうしようもない部分。
娘に植え込みたくないから、まずは敵を知らなければ。
そうやって調べているうちに、自分の首に知らなかった看板が掛けられていった。
毒親だとか機能不全家族だとかいうのも、ここで知った。
どうしてそうなってしまうのか、仕組みを知りたかった。
仕組みを知らなきゃ、意図的に避けることが出来ないという不安が強かった。


離婚に至るまでの間で、あたしは結局
自分で勉強した「こういう状況が続くとこうなる」という
心身症の経過をなぞるように体現し、心療内科に通うことになった。


離婚してから、両親が毒親のテンプレを発揮。
振り回されて、言いくるめられ、絡めとられて、罪悪感を刺激され
子供との楽しい二人生活を諦めた。


実家に入って1か月で、あたしは体重が激減し
子供は膠原病になってしまった。重度のストレスだった。
実家から抜け出さないとと思うも、子供の病状が良くならなくて。
3か月以上付きっきりで入院。
退院後もいつ再発するか分からないから目を離すなと念を押され
あたしは仕事を失った。


当時の実家は、祖父と叔父が他界しているので…
祖母と叔母(+ヒモ)と家出してきて住み着いてる伯母。
それらを養う為に母が家業をしていて。
父は大荒れ。


あたしは家事や子育てに対する手出し口出し、昔母がされていた3婆の仕打ちが自分に向かう怒りと恐怖。
荒れ狂う父から子供を守ることで疲弊した。打ちのめされて、限界を超えた。
これまで蓄積してきた膿が…皮膚を破って噴き出すようだった。
離婚してから卒業できた心療内科に、再び行かないわけにいかなくなった。
自分で認識しているところで摂食障害再び。プラス過敏性腸症候群と睡眠障害。
病院に行って問診されたら、自傷と薬物乱用の傾向も強いと言われ、抗うつ剤を飲まなければいけなくなった。


遠くから聞こえる人の声や足音におびえる毎日だった。
外出することが難しかった。
人の目が怖くてたまらなかった。
夢が怖くて、眠ることもままならなかった。


あれから何年だろう。
6年?7年?


実家はずーーーっと炎上していた。
それでもあたしは、足掻いて足掻いて、いろんなことがあった。
叔母がガンになったのを介護して看取ったりもした。


諦めないで細々と頑張ってこれた。
一緒に笑いたいと思わせ続けてくれた子供のおかげだ。


心身症は幻聴や躁鬱までいったけど、時間をかけて薬に頼らないで済む方向に行けた。
今は通院もしていない。
沢山調べてきたことが、今役にたっている。
理屈を知れば、対処の手段が選べるからだ。
どうにもならなければ、病院でお薬を貰えるというお守りもある。


6・7年たって、今ようやく実家から逃げなければと思えるようにもなってきた。


これまでの実家の日常は、相変わらずで。
あたしは何度、裸足で逃げなければ殺されると、市の相談窓口に電話をしたかわからない。


でもここまで立て直すまでに、あたしは仕事も収入につながる趣味事も、全部失ってしまっていて。
外に働きに出たいと言ってみたら家が揺れた。


祖母も母も、許さなかった。


父は、様々な事を認識して許せないラインが引かれてきたあたしの逆鱗に触れた。
だけど、意義申し立てをしたあたしに、実家が張ったレッテルは「キチガイ」だった。


昔から精神的に不安定なヤツだった。
キチガイだ。
恥ずかしいヤツだ。


父が、毎日、祖母と母、時にはあたしの子供にまで
大声で笑いながら話しかけているのが聞こえてくる。


父が自己愛性人格障害かもしれないと知ったのは
あたしが自分自身の特徴と対策を知るために
アダルトチルドレンのサイトを漁っていた時だ。


家族は父が核爆弾だと知っている。
理不尽な事をしているかどうかよりも、爆発される方がこまるのだ。
ましてや自分がターゲットになった時を思ったら
父に機嫌よく話しかけられている自分は勝ち組である。


あたしは母を助けたいと飛び込んだ実家で
手足を捥がれ、なんとか外に出ようとするのを遮られ。
働きもしないでタダ飯食いがと罵られ。毎日作る食事を時折無視され。
閉じ込められた実家の中で、父の敵と確定され。
安心して疎外できる対象となってしまった。


子供は、あたしに気遣いをみせるが
お爺ちゃんに声をかけられたとき、喜んで見せないとヤバイという生存本能に抗えないのも良く分かる。



それは    あたしが    よく    知って   いるのだ。



子供の為に、どう説明をするべきなのか。
ここから逃げ出して、子供の気持ちを安定させてあげたい。



そんなあたしの避難所だ。






いつかここを捨てて出たい。



出来るだけ早く。



遅くても
子供が自立して、希望する県外に飛び出す門出を祝えたら。





あたしは手も足も無くて、外に出た途端死ぬしかないかもしれないけど。





こんな環境から出たいと自分の意思で飛び出すことが出来たら。



あたしはもう、自分の人生にハナマルをあげる。








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