むすんでひらいて

表向きでは不要なのに湧き出てしまう思いや考察。 自分を暴き、宥める作業。避難所。

寂しい病


絵を描いたり物を作ったりすることが、一応あたしの趣味といえる。
趣味っていうと、ウェーイwな感じがあるあたしは、最近ちょっと違和感を感じている。
趣味娯楽というよりも・・・
出来ること。手段の一つ。そういうニュアンスが強い。



実家で育った歪みに苦しみながらも、あたしは漫画を描いて発表したり、ハンドメイドのネットショップをやっていたりした時期がある。
ネットショップが自分一人じゃ手が回らない程度に繁盛して、沢山の素敵な人達に囲まれていたのはもう10年前にもなることで。実家との距離がしっかりとれていた頃だ。
漫画に関しては…勢いが止まらなかった学生時代。高校卒業と同時に商業誌に投稿したものが受賞したアレが最後の作品だ。でもつぶれた。あたしらしい理由で。
漫画と自分の事については、今度吐き出そう。



それでも、外界にいて、自分の生みだしたものが
人の目に留まり、喜ばれたことがあるんだよね。



今、実家の人間関係だけが全てという現状の中。
あたしは自分に対する評価が地を這ってしまっている。



あれだけ様々な人からフィードバックがあったという事実を
あたし自身が忘れてしまいそうになっている。




あたしが出来ることを自分の中から選ぶとすれば
過去それなりにまとまった時間取り組んだもの。
周囲から評価が得られていたものになる。



だから、数年前。また少しでも作れないかと。描けるようにならないものかと。
自分の中で比較的出来たことなら、誰かみつけてくれるんじゃないかと。
発表する場に混ざってみたんだけど。



人とのつながりを気にしすぎるあまり、逆にガッツカないよう自制するむつかしさ。
自分語りが喜ばれない事を感じて、相手軸の話題に乗っかるパターンがテンプレになってしまう。
楽しく誰かと絡めている時は、繋がっている楽しさ。
これは相手へのレスポンスを発信しているときだ。
あたしが感想を〆れば終わるものである。


自分が日常の8割を占める鬱屈したものを取り除いて、かき集めたもの。
それを発信するも感想や評価がつかない。
それには理由があるんだろう。



実家を何とかしようと愚かにも取っ組み合って、疲弊し、自分が壊れて行く間。
そのとんでもなく長い時間。
あたしはあたし個人の事を何一つ、手に取ろうとしなかった。
ステータス全振りだ。実家というミッションを攻略することに特攻したのだ。


余談になるけど、実家に入ってから自分の下着を買ったことが無いんだよ。
ここ数年、外出するときしか装備しなくなった。
何故なら、数が無いからだ(ドーン


擦り切れてしまった下着を、だれに見せるわけでもないからと
いつまでも使っていたら、子供に笑われて。
あたしは「コレハヒドイナw」と笑って済ませてきた。
買いに行こうと、思えなかった。


年末に、あたしと子供を外出させてやんよ!と元旦那が車を出してくれた時。
子供といろんな話をしていた中で元旦那が言った
「ママは下着が大好きで、いっつもカタログ見てた」という言葉に
日常の疲れから軋んでしまってる身体に、惨めな思いが湧いた。


つい最近も、あたしを気にかけてくれた友人が顔を見に来てくれた時、なんとなく下着の話をした。そんなのが普通とかおかしいでしょ。買え。と言われた。





あれだけの時間と労力。
下着のことなんて、本来特別な事じゃない。
でも、頭が、自分のベースを保つスペースまで、実家や父の事で埋め尽くされている。





今現在、この頭で動かした手で作るものは、相当な劣化版だ。





技術云々じゃないところで、既に負けてる。
頭を自分の世界で埋めることができないんだもの。



まだ若いころは、作家になりたい。というか作家になると。そう思っていた。
自分が感覚で何かを表現して、どんどん生みだせる流れができていた。
それが自分の出来ることだと、感じることが出来ていた。



でも今は、自分ができること駆使して、なんとか寂しくないようにしたい。




でも鳴かず飛ばずで、自分の中で比較的やってきた事、持っているものがゴミだったんじゃないかと。捨ててしまいたくなったりする。自分が出来ること捨てたら、ホントもうなんで生きてるんだって。また拾い集める。繰り返してるのも惨めに思う。こんなものしかないのか。



寂しいのは。どうしてか。
それは父が40年かけて、あたしが寂しくいるように躾けてきたからに他ならない。



今も続いている。
リアルタイムで今日、今、この時も。



唯一、あたしの寂しさを聞いて知っている友人は、家から出たらアンタは重宝されるタイプだよ。と言ってくれたけど。



頭では分かるような気がするのに、体感で上書きされてしまう。




今日も寂しい。


今も寂しい。






どこで寂しいって言ったら許されるんだろう。



誰もいないところならいいんだろうな。




でもそれじゃ寂しいままだな。




寂しいことに慣れて、独りでやりすごせるようにならなければ。
そういう焦りがいつもある。


寂しい事が当然なら、それが普通で。平気になるのに。
当然のように寂しいあたしは、どうして平気になれないままなのか。


人にはそれぞれ生活が。ペースがある。
あたしと共有していない時間には、あたしが知りえない出来事が
知りえない大事な事が沢山あって当然だ。
それがそれぞれの問題や課題であるように、あたしの寂しさやどうしようもなさってもんは、あたしの問題であるよ。
現に、この距離感をカッ飛ばしてくる浅い関係の人を、自分は困ったなと思うし。
付き合いが長い大事な人なら、頼られた喜びが勝るから、どうしたどうしたーって前のめりだけど。


どうしてた?って報告会みたいに愚痴ったりのろけたり。そういうのが正しい距離感だって知ってる。
共有できるのは、顔を合わせた時間の出来事だけだもの。


ネットでの繋がりも、タグで集ったならそのネタを楽しむ場だ。



ルール違反をしてしまったら
楽しい事で落ち合える繋がりも途絶えてしまう。



強請りたい気持ちを叱咤して考えないようにする。



会いたい人のことを考えないように必死になる。





そうしていたら、会いたいって気持ちも。
いつ会えるのかっていう不満も。霞んでしまった。




残ったのは、寂しい。これだけ。





会ったら堰を切ったように話してしまうから。
相手と共有していない時間、どんな思いだったか捲し立てて。
逢瀬の時間は終わってしまう。



そうしたくないと、いつも思うのに。
それじゃあ自分が不在で。上手く笑えなくなってしまうんよね。


だから、あたしは「話す」か、「全く話さない」かになりがちだ。




このブログも、「全く話さない場所」を保つ為に作ったようなものだし。






趣味事に評価が付かない事に関しても、寂しさはある。
でも認めて貰えないっていうのとはズレがありそうで。


だって・・・自分がメッチャ頑張ったのに!とか言いきれるほど入魂出来ていないし。
大体にして、頑張ったからって、評価がつくものが作れるわけでもないし。
ゴミはどんなに積み上げてもゴミには変わりないんすよ。


ただ、ゴミでも相当積み上げてるのを見て「すげえ」って立ち止まる人は出てくる。
なんで積み上げてんの?って気になる人もいたりする。
積み上げてる人、頑張ってるなーとか思う人もいたりする。
まあ、ゴミ量産してんなよ・・・って思う人もいるだろうけど。
もしかしたら、大半の人がゴミと認識するソレを、なんか好きだなーって
わざわざ見に来てくれる人がいるかもしれないじゃないかっ(泣くな)



そういう意味では、繋がるきっかけにならないかなと。
そう思っているところがあって。寂しいからさ。
まあ、コミュニケーション能力が様子おかしいだろうし。
ちょっと声かけ辛いかもなあ。


気にかけてくれている人が一人・・・二人?いそうだけど。
稀に一生懸命褒めてもらえると、どうしていいのかわからなくなる。
こういうあたしの歪みが大きく反映していること請け合いの現状だろう。


ここでグズグズして、表でいらないことを言わなくていいようにすれば。
少しは気楽にできるだろうか。ちょっと期待。




批判された!とかいうのよく炎上してるけど
えーイイナーとか、うっすら思ってしまう。


あたしなんて見ても貰えてないですけどw
自分が発信したものが、どう思われたのかも知り得ないんすけどw
誰かおせっかい魂発揮して、赤ペン先生してくんないかなーって思ったりする。
嫌がらせは…メンタル豆腐だから勘弁だけど。




実家の外から見たあたしは、どんな風に見えているのかな。


それを、知りたい。





あたしはきっと、ただ寂しいの。







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