メモ

避難所。

いいなあ

いいなあ。




ここずっと「いいなあ」が、娘の口癖になっていた様子。
気にかかるくらい頻繁に言うから、ちょっとモヤモヤして気が付いた。


気楽に連絡を取れる友達が居ない娘は、日がな一日ティックトックとyoutubeをかけ流して、キラキラに編集された自慢のお部屋や、お人形のように痩せて可愛くメイクした配信者たちを眺めて。


いいなあ、いいなあ


みんなお金持ってていいなあ、みんな可愛くていいなあ、みんな自由でいいなあ、みんな普通に幸せでいいなあ言ってます。


動画で沢山流れてくるひとたちは、一握りの人たちであって、決して普通ではないんですけど。と。思ってしまう私は、娘に動画を見せられても、一緒にいいなあと言う気になれず黙って眺めてしまう。そうすると娘は「みんなやってるんだよ。みんな持ってるんだよ。羨ましいじゃん」と語気を強くする。




子供の「みんな」とは、クラスのうち2人以上が当てはまる状態を指す。って、何かで読んだなあ…なんて思いながら、そうかー羨ましいよねーと口にしてみる。



私は、モヤる。




そんなことが、何度も繰り返された年末だった。






モヤモヤしながら、時々思い返しては考えてみた。なんでモヤるのか。


まず、娘が羨ましがる対象がモヤるんだと思った。


動画配信で羨ましくなるような内容のものは、羨ましくなるように作られている…と思うし、相当な努力とお金がかかっている場合が多い。それを数分…数十秒で切り抜いて、最高にキラキラした部分だけを延々と眺め続ける。宗教みたい…。なんとなく怖さがある。


あと、すごく些細な事にも「いいなあ」ってやたら言うもんだから。なんだか「足りない」っていう訴えを延々と聞かされているような気持になっているんだと気が付いた。


いいなあって言うわりに、それを手にする方法を考えたり調べたりする方向に行かない。


娘が自分自身に「いいなあ」って言うたび「自分は足りない」って呪いをかけているように感じた。





ここまでは、まあ。



でも。



なんだか、スッキリしない。
なんだか、ひっかかる。
ひっかかって、その先に行けない感じ。



先、もっと他に理由がある。






私は自分が「いいなあ」と思う事を、思ってしまっても口にする事を、自分に禁止していたことに気が付いた。




これに気が付いてから、考えないようにしていたこと、言わないようにしていたことが、口をついて出てしまう事が何度かあって困った。



だけど、そう。
私は正直、配信してまで人に見せるものを持つインフルエンサーじゃない、身近な人、ただの通りすがりの人、横断歩道を渡る私の横を走りすぎて行く子供たちにさえ、いいなあ、と、思っている。



きっと帰る先があるだろう人たち。
帰った先に「おかえり」って言ってくれる人がいるであろう人たち。
たった今だけでも、一緒に歩いている人と笑って話が出来ている人たち。
学校帰りに笑っている子供たち。


なんで自分は帰る場所が無いんだろう。
なんで私は「おかえり」って言って貰えないんだろう。
なんで私の娘は誰かと笑って通学路を歩けないんだろう。
そのことを悲しんで、傷ついて、閉じこもって、小学中学で広げられた可能性を丸投げしてしまった。
生きるために、生き残るために、落ち着いて取り組めば得意だったことも切り捨ててしまった。


なんで、だろう。
どうして、だろう。




なんで、私はいつも心配して不安で苦しいのか。
笑っている場合じゃない毎日しかなくて。


他愛ない事で笑える人が、最低限の安心がある上での不満を愚痴のように言える人が羨ましかった。



うらやましかった。
でも、どうしようもないじゃない。
道行く人が笑っていられることは、私と何にも関係がない。羨んだって詮無い事だ。知り合いならなおさら。比べてしまったら、相手も迷惑だ。どうしろっていうんだって話だ。



それでも、ただ、私の、端的な思いを取り上げるなら。




いいなあ。






みんなそれぞれ心配なこと、不安な事はあって、それらに備えて日々動いているんだろうことは想像がつくよ。


それでも、まあ大半は、自分の子供が手首を切ったり、薬を飲んだり、そういう次元の話じゃないんじゃないかなって思う。



わたし、何か、したのかなあ。
それとも、ただ、間違い続けたのかなあ。
実家に入って家庭内戦争に巻き込まれているときも、娘のいじめが始まってからも、ずっと必死に頑張って、なんとか切り抜けようと、踏ん張って頑張ってきたつもりだったけど。違ったのかな。



間違っていたなら、ホント最低な親だな…
そんなんだったら、傍から見ている人は「うらやましいって言われてもw」みたいに思うのかな




でも、ここは、避難所なので。




いいなあ。って、言わせてもらう。






いいなあって、言っちゃいけないって思っていたって認めたら、娘の「いいなあ」節が軽やかに聞こえてくる。



いいなあ。
いいなあ。



わたしも、そうなりたかった。
わたしも、それがほしかった。



そういう欲求を、恥も外聞も無く素直に垂れ流して、自分が欲しいものを知ることが出来たらいい。





今の私は、もう何が欲しいのか、どうなりたいのか、さっぱりわからない。



いつか、いつか、いつかと思ってとっておいた趣味のモノたちの重圧に、そろそろ耐えきれなくなってきている。


だけど、これだけ大切に集めてきたものを捨てたら、私は空っぽになってしまう。


空っぽになって、重心を失って、飛んで行ってしまいそうだと、怖い。





怖くて、捨てられない。






いいなあ。
いいなあ。


身軽な人は。


私は何もないカラッポ人間のくせに、荷物が多すぎて圧死しそう。








どうやって、本を読んでいたっけ。


どうやって、縫物をしていたっけ。


どうやって絵を描いていたっけ。


どうやってゲームしていたっけ。


どうやって文章書いていたっけ。




夢中になってやっていたんだよね。




今は、毎日三食、ご飯支度ができるかどうか。
これで精いっぱいになっているよ。




なんにも楽しくない事に焦っている。
無理矢理なにかしら感じようとしてみるけど、出来ない自分に打ちのめされてばかりで、もう手に取るのも億劫だって事実から目をそらすのも限界




そっか、私、だからうつ病なのか


がっかりだ

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