むすんでひらいて

表向きでは不要なのに湧き出てしまう思いや考察。 自分を暴き、宥める作業。避難所。

教えておじいちゃん

薬がきいているのはわかるけど。
どうも調整がとれないでいる感じです。


対峙することを避ける為の、鈍みは強いけど。やっぱりそれが重みとも重なっている。



億劫で、もうろうとしてしまう。






昨日、「実家を出なければ」という漠然とした衝動を、なぞってみるように、少しばかり不動産屋を見て歩きました。


何か新たな材料が放り込まれれば、響くかもしれないかと思ったんですが。
正直、ちょっとわかりません。




家を出たい。ということについて、脳裏では因数分解が始まっていました。




家を出たい。なんで。自分が壊れる。なんで。父親が酷い。なんで。道理が通じない。なんで。他の家族がそれを増長するから。なんで。父を怒らせることは許されないから。なんで。父が怒って暴れて収拾がつかなくなるから。なんで。父にとって自分の意見が全てだから。なんで。今までの長子はそういう立ち位置だったから。なんで。その前の長子もそうしてきたのを家族が受け入れてきたから。なんで。なんで。なんで。




正しいとか正しくないとか、どう思うかどうかは取り上げられる問題ではないから。



長子の意思は、家そのものでなければいけない。



そういう、家風に教育されてきた。



祖父も、父も、嫁いで付き添おうと必死に頑張ってきた祖母も母も。



その風を受けて理不尽な思いを強いられた伯母と叔母は、ひねくれて、おかしくなってしまった。


叔父は死んでしまった。




あたしの祖父は、確かにこの家風を堂々と吹き荒らした人だった。
怖くて、冷徹なところがあった。子供たちは縮こまって育っただろうことは想像するにたやすい。だけど、知識と能力があった。


祖父の厳しさと冷たさには、一貫性があった。



中学に上がった頃、あたしは運良くその法則上で「良し」とされる行いが多かった。


それは、本を読み、絵を嗜み、文章を綴り、何かを作り、形にすることだった。




孫だからではない。
祖父はあたしを「良いもの」と判断したんだと思う。




振り返ってみる。




父は、学業の基本あたりから知識が欠落している。
本を読むことは皆無。字を書く事、文章を綴る事は壊滅的。書類系は母が全て肩代わりをしてきた。彼に「今日」と書かせれば「けふ」と書く。「を」と「お」の違いがあやふやだ。
絵を描く事をひけらかす様な事をしてみせることがあるが、ベースがなっていないので大層お粗末なものだし、一発屋で継続することはない。だけど、自分は素晴らしい才能を持っていると信じたいようだ。
家族の中でしかひけらかさない、その心理は、あたしに隠せるわけがない。
家族という世界から、広大な社会という世界に出た時。自分が決めた価値が別の評価を下されて、それを家族が共通の情報としてとらえることがあってはならないからだ。
クリエイター系である人間が抱えやすいありふれたジレンマ。




伯母は、周囲に比べれば活字を読むことはある方だったと思う。書くことはしない。絵も描かないけど、編み物や裁縫は相当やる。それを存在価値の軸にしている。



叔母は、文芸的なものはなにひとつ触らないひとだった。
そして、それに対して、凄まじいコンプレックスをもっていた。


叔父は、地道に出来ることを積み重ねるタイプで。
真面目に勉強をして、公務員に勤め、ただ出来ることを力なくなぞるような人だった。




みんな、祖父に認めてもらいたかっただろうと、想像する。




この家風の中に添って認められたいとなれば、クリエイター気質、それも先進的なものではなく、社会との繋がりより、個人が没頭して研鑽を積む類の気質であることが必須だっただろう。



その当時は戦後で。
毎日食べるために汗水たらして働いて、そのおかげでバブルがやってくれば、延ばした手が新しいものに届いてしまう。



みんな、目新しいものに心が躍っただろう。
自分が働くことで生活に彩りを加えて行けること。
どれだけ楽しくて夢中になっただろう。



これは、あくまであたしの想像だけど。




祖父が自分が嗜んできたものの技術。
蓄えてきた知識。


そういうものは、必要とされればお呼びがかかるけど、みんなが瞳をキラキラさせて殺到しはしないこと。寂しかったんじゃないかと思う。



まさか、自分が誇れるものを学ぼうともしない息子から産まれた孫が、日本書紀だの中国史だのを読み漁って、子供らしからぬ髭面の武将のお絵描きに夢中になって、自分が得意とする書字を欲しがって、昔の生活や知恵を聞きたがって、いろんなものを自分で作ってみようとするなんて、思いもよらなかったんだと思う。



本来なら、孫の中で一番学業がお粗末だったあたしは、祖父に気に入られる対象から外れるはずだった。勉学の努力をしないことを彼はとても嫌ったからだ。ただ、テストは赤点なのに、本来子供がせがむものではない本を強請る。大人でも手に取る人は限られるだろうなというものを選ぶ。


歴史や文芸に夢中になったあたしの姿が、とても嬉しかったんだろうと。



この実家で、祖父に可愛がられたと判定を受けたのは、あたし。
学歴で言えば弟もその対象になるはずだけど。
弟はどちらかといえば叔父に近い。
文句は言われないが交流もなかった。


あたしは中学の頃。
とにかく祖父に連れて歩かれた。


お小遣いでは到底変えない、背伸びした本をたくさん買ってくれた。
家族がそれぞれ個人の遊びに出払った家で、黙々と絵を描いたり調べものに没頭しているあたしを、お正月には初売りに、夏休みにはドライブに、山菜のポイント巡りに、お気に入りの本屋さんに、佞武多絵を描く自分が行く画材屋に。連れ出してくれた。


弟も妹も、友達と遊ぶことに夢中だった。
あたしはよく祖父に誘われて、遠出をした。



祖父のあたしにたいする好意は、程度の差こそあれ、あたしの娘に対する原動力と近かったのかもしれない。寂しかったのかもしれない。仲間が欲しかったのかもしれない。



子供のアタシは分からなかったけど。




当時、父が仕事で家にほとんどいなかったことは、今思えば幸いだったのかもしれないな。きっと嫉妬や怒りで気が狂うのが早まったかもしれない。



いま、父は、そんな祖父が敷いてきた家族の型を当然のものと疑わず、今家長である自分が祖父の立場だと思っている。



主軸が無いのに。








あたしは、こんなに苦しい人生だった。


でも、どうして創作をやめられず、細々と繋げてこれたんだろうと不思議に思う事があった。こんなに頭おかしくなったら作る事なんかに頭割けないよ。実際今出来てないよ。




なんで、今、コレ打ち出してて。
祖父の事が出てきたんだろうと。



あたしに描く事、書く事、作る事、知る事、それらが好ましいものだと許容の意思を見せてくれていたのは祖父だったのか。


言葉で褒められた記憶はないけど。
いつも、黙って眺めてくれてた。


亡くなった時、みんなで広げていた遺品の日記をおばが面白がって読み上げていた。



郵便受けがカタンと鳴った。
また何か孫が申し込んだものが届いたのだろうか。
帰ってきたら、きっと喜ぶのであろう。




当時中学生のあたしが描いたヘッタクソな武将のイラストに、書道の名人である祖父が武将の名前を書き入れてくれた。



苦笑しながら。
でもくだらないと怒らなかった。




祖父が亡くなって、我が実家は主軸を。あたしは自分が夢中になることへの好意を。なくしてしまったんだな。






厳しいことが全部悪いわけじゃない。




悪なのは、一貫性がないことだ。
ルールを作ったものがルールを破って見せる。
守らないものが罰を下す。


なにより、ルールが権限者の都合でどうにでも変わっていくことだ。





祖父はそんなことしなかった。





確かに気難しくて我儘な面は多かったし、笑う事が少ない人だったけど。



自分の思い通りにならないからといって、出先で子供を車から降ろして行ってしまうようなことはしなかった。それは、彼が自分を保護者側の人間で大人だと自覚出来ていたからだと思う。



門限を破ったと髪をハサミで切られたとか、悪友からの誘いの電話が煩いと追い出されたとか、父や伯母たちから沢山愚痴は聞いたけど。



みんなルールやぶってるじゃん。
だから叱られたんだよ。



うらやましい。



あたしだったら、境目がはっきりしてるから自分で判断できる。



いろんな事情はあったと思う。


でも、あたしが手慰みになっている作業を持てたのは、祖父のおかげもあったんだろうかと。





人は、絶対悪にも、絶対善にもなれはしないものなんだな。







先日、祖父の命日だった。
昨年のその日。


あたしは積み重なった父の執拗な嫌がらせに、発作的なヒステリーを起こした。



祖父が眠っている墓石の前で。
あたしは叫んだんだ。


こいつのやってること なんなの せつめいして



って。






そうか、祖父に、聞きたかったのかも。
祖父に、父を裁いてもらいたかったのかも。



お墓参り、行けなくてごめんなさい。
今度こっそりいくよ。









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