メモ

避難所。

脳内デフラグの巻

引っ越しして3か月?
あたしは主に実家から。娘は学校での人間関係から、離脱を図ったわけですが。
逃げてきた先でいきなり花を咲かせることは無理と言うものです。



耕した土に種を撒き、肥料、水、光。
必要なものを与えて手入れをするから、花は咲くわけですよね。
あたしらが飛び出して辿り着いた土地は、いわば野原のようなものならラッキー。岩場や砂漠であったりするかもしれない訳です。
もともと咲いている野草の花はあるかもしれないけど、自分が持ち込む花は咲かせる下準備が必要で時間がかかって当然。



当然と思い己に言い聞かせていても、頭も身体も着いていけない怒涛の3か月ですけど。



娘のハッチャケっぷりは、記録として残したい気持ちもあるけど、今は情報量が多すぎて、目の前の事に対処するだけで精いっぱいなので脇に置いておく。悔しいけど。選抜が出来ないくらいデカイことだらけ。




体調を整え延いては心の安定を目標にやってきていますが、上記にある理由が足を引っ張っているもんで、なかなか「良く寝たスッキリ!」みたいなことになれずにいます。
そんな中でも、娘の事が1日2日、要観察程度であれば、あたしの頭は自分がこの先どうするべきか、グルグル考え始める。ええ、まったくもって休もうとしていません。あたしの脳みそは。傍からどう見えているかは知りませんが、あたしの中は忙しく自分を責めては追い立てているのです。



社会的承認と自己の確立。


若いころから、あたしの中ではコレが大変気難しく争っています。
結局のところ外界へお勤めに出れば、社会的な目で見ても、自分の行動的にも、なんとなく出来ているといったところでしょう。


ただ、あたしはこれまで、好むものをかき集めて、それらを弄り倒して得たスキルで巣を作って来た人間なものですから。実は、外界にお勤めがハードル高いなら、手元にあるもので何かしてみるという材料が腐るほどある現状。歳を重ねる分、材料も手数も自分の中だけに収めておくのが不自然になってきています。嗜むものは、はみ出ます。


お外にお勤めのハードルが高いというのは、長年実家にかまけてきたので、浦島太郎状態。年齢制限がハンパなく厳しい。社会的な経験の慣れが既に皆無に近いくらいにロス。


そういう事に対する不安や緊張感が、今まで実家でサバイバルしてボロボロな状態の精神に乗っかると…いとも簡単に出来上がる不安障害やらパニック障害やら躁鬱やらモーイヤ状態です。


近所の買い物でも解離症状やら動悸に悩まされてますからね。
経験が治療になるったって、怖いでしょうが。お勤め先に迷惑をかけてしまうかもしれないと思うでしょうが。それによって、ただでさえ粉々な自尊感が更に臼で挽かれてしまうのかって怖気づくでしょうが。そんなんなったら、その後どうすればいいのか。考えるでしょうが。その上に娘の事情を受け止めるわけで。いやーもうなんかホント、修行かな…前世のアタシは何をやらかしたんだろうね…(遠い目



生活費に関しては、一応事情を汲んで実家を出してくれた母親の援助と市からの手当て娘の父親からの養育費、それがある間に自分を立て直したいわけですが。こんなに粉々になる前に再出発出来ていたらと、思っても栓の無い事だけど思わずにいられない。


じゃあ手元にあるものに着手したらと思うじゃない。
なのにそれが出来ないできています。


何故なら、手元にあるものは、工夫によっては収入につながるけれど、趣味から始まっているから…罪悪感がミッチリと張り付いて身動きが取れなくなるんです。


楽しむ事に後ろめたさが凄い…。
いや、ハンドメイドや漫画って趣味とはいえ、楽しいだけじゃなくて大変なんですけど。大体にして、勘が凄く要なので、それこそ仕事感覚の時間配分で継続していって、人目にさらし続け、認知してもらわなければ売れるきっかけも掴めない。


それでも、それをやる始まりであった「楽しい・自分の事」という概念。
それを優先するとか脳みそが拒絶反応すさまじいんですよ。




認知の歪み。




もう、あたしは長ーいこと、自分を知るための旅を続けているので。
分かってはいるんです。




これまでの経験で、工夫次第で小銭が稼げて、承認欲求や人と触れ合いたい欲求がユルユルと満たされる事が分かっているハンドメイドや絵を描く作業。これらは客観的に分かりやすい数字の結果が出なければ、認めてもらえない。だから目的を社会の一員になる事に据えるなら、どこかに勤めるのが正しい選択だと。あたしは泣きながら自分に言い聞かせているようです。



また、自分がお留守です。



自分が自分を認めることが最優先なんだけど。
あたしはどうにもそれが難しい。


娘を上手い事導いてやれないでいる。母親としても情けない。
自分の体調も、精神的安定も、保てていない。
役割分担をできるパートナーも得られない。


学校で無茶振りやらかした娘を主治医の所に連れて行った時、先生が鋭く言い放った「話を聞いてもらってきてないから、分かってもらおうとする作業が尖るんですよ」って言葉が、深く深く突き刺さっている。あたしはソレの重要性を大事にしてきたと言い返したかった。なにせあたし自身が、ずっとずっと欲しくて手に入らなかったものだったから。娘にそれを与えたい気持ちでいっぱいだから。でも事実、周囲の大人が身をかがめて耳を傾けず、聞いてとせがむ娘を罵倒し言葉や態度で打ちのめす状況を覆せなかった。娘を救えなかった。


だから、あたしは、言い返す権利がない自分に発言を許すわけにいかなかった。


学校に提出した家庭調査票に「無職」と記入するとき、涙が止まらなかった。


親として、お母さんの役目も、お父さんの役目も出来ていない。
1人の成人としても、安定できていない。


なのに、「ステキだ」から始まったハンドメイドや絵を描く事に傾いていられないじゃないかと。


でも、なかなか行動範囲が広げられない自分が、足元で出来ることから自分を立て直すなら、材料があるそれを使い倒さないでどうするの?それだけ集めて来たもの、使えそうなものにも手を伸ばさないのは怠惰じゃないの?そう、責める自分もいるのです。









先日、宅配便が手違いで配達されず、受け取りに行かなければならない状況になりました。その時、滅多に出ない行動範囲を出て自転車を走らせました。


途中に神社があって、事務職員募集の貼紙が目について。
自転車を停めたんです。


一度も参拝したことがない神社でした。


だけど、募集要項を見て、小学生の頃、自分が将来の夢に「巫女」と書いていたことを思い出して思わず笑いました。





出勤日数は、生活費を賄おうとする人なら到底足りないだろう少ないもので。
時間も娘の登校時間内に終われそうなもの。


年齢制限がギリギリセーフ。



なんで今コレきたんだよwって可笑しくて。
なんとなく神社にお勤めしたらっていう空想をしたり、でも募集人数1人だったから選ばれる可能性は低いだろうなと思ってみたり。


面接受けるだけ受けてみようかなと、思い始めて。
履歴書を作って。
提出しに行こうとした日に娘が学校でやらかして呼び出されて。



なんか、今は娘を優先しなさいって事なのかなって。
自分に言い聞かせたけど。


ずっと娘を優先してきたんだけど。


ずっと霧が晴れなくて。


足掻いても足掻いても、おひさまが見えなくて。



何かしなければいけないんだろうに、何をすればいいのか確信をもって動けない。



娘に神社のはなしをしたら、意外な事に、不安を隠さず反対寄りの反応を見せた。




ダラダラと打ち込んできているけど、あたしの心の中は、まさに上記の通りダラダラとズルズルと、あちこちに考察やら思いを伸ばして、間引きできずにきている。



なので、今日。
一度も参拝したことが無かったその神社にお参りにいってみた。



神社までの道中、あたしは手元にある材料を、使い倒してみようと、なぜだか凄く思っていた。出来ることと、しまい込んでいる材料を書き表して、自分のお店の顔をデザインして、コンセプトを打ち出してみようと。やれることやってから、またどうしようか考えよう。
カバンに入れていた履歴書は、記入日を書き損じてしまっている。
今日は提出しないし、いつか必要になる時の為に新しい履歴書を買ってこよう。
そう思いながら自転車をこいでいた。




神社につく頃、小雨が降り始めて。
なんだか寒々としてしまったけど、手と口を清めて、お参りをして、ぐるりと神社を見回して。やっぱり、こういう空気は好きなんだなと小さな感動があった。
おみくじを引いたら、小吉。
内容はモッサリしたものだった。
お守り袋に、娘を思わせる月柄があったので、それをひとつ購入して。
対応してくれたおばちゃん巫女が、良い印象だったからか、嬉しいような、少し興奮しているような気持で神社を出た。





帰路につくつもりで自転車をだしたけど、求人について聞いてみるだけでも出来れば、自分にとっては大した進歩だとボンヤリ思った。万が一、必要になったら悔しいので、すぐそばにあったコンビニで履歴書を修正して、神社に戻った。


お守りを買った時のおばちゃんじゃなく、あたしと同じくらいの年のクールビューティーな巫女さんが出てきて、少しハラハラしたけど。


今履歴書を提出した場合、面接が受けられるとなれば何時頃になるのか。
出勤日数や曜日についての希望はどういう形になるのかなど。
緊張しすぎて、挙動不審だったかもしれないけど、聞けたー。


聞いたら、なんだか流されたように「今、履歴書を提出して行ってもよろしいでしょうか」と、あたしは履歴書を手渡してきた。




たかが履歴書だした話よ。


だけど、あたしはこれがどんなにハードル高かったか。


しかも、選べない状況じゃない。
あたしが嬉しくなったり興味を持てると思った場所を選んでだ。



10年務めた写真館の時以来。
退職して実家に入っていた時期を足せば、19年ぶりに社会に自分からアクセスしようとしたことになる。



履歴書受付期限である11月末の後、書類選考が行われる。
その後、面接の日取りが電話で連絡されるとのこと。
採用決定が通知された後、出勤は12月頭からになりそうだそうで。


募集人数は1人。


落とされる確率の方が断然大きい事が、今は自分に余裕を作っている気がする。
毎日不安や猜疑心にもみくちゃにされて、倒れ込むように帰宅する娘を、一人にするのが嫌だから。


もし採用されたとしても、12月までなら、今まさに心細くても登校しようと頑張っている娘の様子に付き合う時間が少しある。11月は娘の誕生日もあるから、今年こそお手製のケーキを作ってあげたい。12月までの間に、何かしら変化があることを願って。それを踏まえて、あたしが勤務するかどうか決めればいい。



お手当は、雀の涙だけど。
一時でも、自分がどこかに所属していて、そこに貢献していると言えることは、社会に向けて顔が付くという事だと思う。



それ自体は、あたしの自尊感を助けるだろう。



話を聞いた感じだと、出勤日数は週1~週3ということなので。
慣れてくれば、メインとして活動することが後ろめたい個人活動の時間も取れなくはない。



その時にならなければわからないけど。


今は、採用されるかされないかも、深く考えないで。



あの短い時間の間に、心のシーソーギッコンバッタンしながらも、出来ることはしてみようと、質問をして履歴書を提出した自分を、一歩踏み出せたじゃんとヨシヨシしてあげたい。




娘には、あの神社に、とりあえず参拝しに行ってみたよと話して。
お土産のお守りを渡しましたよ。



上弦の月のお守り。


満月じゃなくていいの。
満ちようとしている姿が美しいのだよ。




倒れ込むように帰宅した娘は、お守りを眺めながら、今日頑張ったことを教えてくれた。




普通になりたかった。
普通に出来る自分になりたかった。
だから、頑張ったよ。
でもこのありさま(笑



って、最近の娘にしては上出来な報告をしてくれました。




娘じゃないけど、一昨日からの頭痛が引き続いてて…しんどいなあ。
でも、今日は良いか悪いかわからないけど、いつものレールから少しでもずれようと、お互い頑張った、あたしら親子だった。



いつ、おわるかな…おわんねーか

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