メモ

避難所。

誰に向けているのかを考える

あたしの日記っぽいコレは
あたし自身と、いるのかいないのかわからないけど自分と似たような事を
感じる人?


根本的に他人に向けているとは言えない。



ブログをはじめてみて、タグやランキングで関連ブログに数か所お邪魔したんだけど。



アダルトチルドレンとか毒親とかについて悩んでいる当事者だけでなく
それに対してのアクションを起こしているカウンセラーさん?セラピーさん?
とっても多いんだなーって思いました。



あたしはもう結構なお年を召してきているので
その分、試行錯誤してきた時間も長いわけで。
藁にもすがる思いで、退行催眠だとか、試してみたりもしてきてます。


知りたいことに関しては、必死に本を取り寄せては読み漁ってきました。
ここ数年はネットで得られる情報量がハンパなくて。
取捨選択が難しいくらいだなーって思います。


心療内科・精神科・カウンセリングも経験してきてて。



思う事。



結局、自分がどうしたいのか。どうなりたいのか。
ここを引き出せるところまで行けないと
回復だとか改善とかいう標識に向かえない。





ただ、もう分かり切ってるじゃない。
特に、グレーゾーンから上に浮いていられる健康な思考回路を持っている方なら。


どうなりたいって。
しあわせになりたいじゃん。



幸せの定義は人それぞれとはいえ、何の歪みも障害も突然変異もなく
日の光に向かってスクスク育てば、痛いの嫌で気持ち良いのがいいし。
グジャグジャ小難しい事で頭使うより、呑気にたのしーって笑いたいし。



だから、分からなくはないんだよね。
いきなりそこを突き付けたくなるのは。
ほら!コレだよ!コレ欲しいはず!見えたよね?そうだったって思い出すでしょ?


みたいな。



でーもーさー


と、思って。



種をまかれた場所が・・・日陰でさ。
遠くに見える日向に撒かれた仲間は、なんだかスッゴイ青々茂ってるんよ。
自分はひょろっちくてさ。色も薄くて。ちょっとそっちに寄ろうと思ってさ。
うーん。うーん。って日陰から出ようと伸びてみるんだけど。


上に真っすぐ伸びられなかった。
横に伸びようとして根っ子が引っ張られちゃって・・・根っ子・・・剥きだしちゃった。


でも届かなかった。



日向の仲間だった種は、立派に丈を伸ばして、大きな花を咲かせて。
花の香が流れてくる。周囲にはミツバチや蝶が忙しなく飛んでいて。
花粉や種が遠くまで運ばれているな。



日陰で育った自分は、花を咲かせず。
なんとか足元に種を撒けたけど、日陰で花を咲かせずとも生存できるように
ある意味進化をさせたもので。




平時というものが全く違うと、ニュートラルも目指すものも違っている。




日陰で育っている植物に、もっと伸びなさい。色はどうした。花を咲かせよ。
そのために足りないのは、日光だ。水だ。


・・・同じ種類の植物だからってさ。
それが得られる場所と得られない場所じゃ目指すものも違ってくるんよ。



本来出来るだけたくさんの種を遠くまで飛ばせるようにするんだろうけど。
その段階まで行けないなら、現状でも生き延びて、種を残す手段を模索することになる。



それを通常営業としてやってきた側に、それは間違ってる!って言われても・・・。





確かに苦しくて大変で辛くて、抜け出したいって思う。
だけど、今自分が生存するために保っている通常営業をやめたら終わっちゃうと
必死に繋いでいるわけだから。



本人がその営みに何を思うのか。
どうしてこんなことになっているのか。


まず、心から自分が疑問を持って、嫌だと憤りや不満を感じなければ。
みゆき姐さんも銀の龍にまたがって歌ってるじゃないか。
急げよ!悲しみ!翼を広げろ!
マヂ急げ!傷跡!羅針盤になれ!って。


苦しい、痛い、辛い、自分は傷ついていると認識してないと
飛べないし、向かう先も定まらないもんだと思います。
慢性化した「なんとなく」なしんどさでは弱いのです。



あんな日陰に種撒いたヤツ。許さない。絶対!
オレは進化を遂げる!撒かれた場所がどんなところでも
確実に日向で根付ける進化を!


みたいな方向に努力の矢印が向けられないんじゃないかなって思う。



あー迷走してきたー何故かみゆき姐さん歌ってるしー
なんでこんなこと言ってるのかっていうとー



アダルトチルドレンのカウンセリングをしていますってブログに


「毒親」という言葉がはやっていることが悲しい。
親を責めて解決はしますか?
結局どうしたいのか決めるのは自分です。


あたしは・・・吐き出して吐き出して、自分がどう感じたのか知らなければ
進むための一歩を、前にするのか左にするのか右にするのか・・・
上を見上げてみるのか。決められないと思っている。
だから、なんか・・・毒親毒親いうなっていうの見て。息苦しいなって。




また


毒親と子供に言われたと、カウンセリングに相談に来た親御さんを見ると
胸が詰まります。親は親で子供に何かしてあげたいと動いただけ。
子供は子供でそれを受け取れないでいただけ。すれ違っているだけなのに。


と、ありまして。




まあ、間違ってないケースもあるよねー。とは思うけど。
割とこういう、親も子供も悪いわけじゃない。
関係性が悲しすぎる。故に毒親というレッテルが酷いと思う。
そういう主張を滲ませている発言、少なくなかったんで。



コレ、だれに向けているのかなって思って。




メンタルセラピストさん。と、いえば。
心に傷を負って、癒して欲しいと思う人が訪ねるわけだけど。



アダルトチルドレン、機能不全家族というタグを打って集まるクライアントは・・・



あだるとちるどれん・・・



ぎゃくたい ひがいしゃ・・・



すれ違ってる親子関係に疑問を持たないまま、意気揚々としてきた親御さんが
カウンセラーさんや心理セラピストさんに相談するときって


まさかそんな風に言われるなんて・・・ショックでした


っていう段階だよね?
そこに至るまで、ずーーーーっと癒されないで傷ついてきた
瀕死の子供がいてるわけですが。




それとも、これからは毒親という概念が普及することになり
子供からの訴えで、ビックリして心身症を患う親世代が増えるからとか。
そういうスタイルなんだろうか。






自分の立場の認識。
自分が生業として利用する知識や能力を、どこに使いたいのか。
自分が助けたいのは誰なのか。
ちょっとどうとらえているのか聞いてみたいなって思った次第でした。




何かしら看板背負ってるって大変だね。
言いたい事と、求められることが違ってくるなら尚更。

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