メモ

避難所。

馬鹿な親

私は、娘が産まれてからこれまで。
自分は大した人間じゃないから。
せめて、娘が産まれてきた時、浴びるように感じた喜びを、娘に向けることだけは、間違いなくやっていこうと、おもってきた。


それこそが、自分が欲しくて手に入らない何かに、なにかしら関係があるんだと、おもってきた。


夜間授乳や夜泣き、成れない離乳食なんてものは、本当にその気持ちで十分苦にならなかった。周囲にいた人たちが、みんな娘を可愛がってくれて、毎日感謝と希望で道が明るかった。



乳幼児のころの娘は、体重や知能検査、何に関しても、グラフのど真ん中をじりじりいくような、超平均。特別身体能力が高いわけでもなく、言葉が話せるようになるのも、歩けるようになるのも、おむつがとれるのも、みんな早くはないけど、遅すぎもしない程度。



それでも、毎日ハラハラ、できるようになるだろうかと思う私は、今の自分が他人の事としてみれば、まだ慌てるような時間じゃないと、笑って慰める対象になるだろう。




娘は、あたしの大事な光だった。
裏を読む必要なんかなくて、必要な事をしないで後ろ暗い気持ちになることもない。



だけど、一度だけ。
まだ2歳にならない娘との関係性がずれた出来事がある。


なんでも応えてあげて、邪魔にしないのね。と、3人の子供を育てている人に苦笑された事があって。


私は、自分の中に、娘を邪魔に感じることが、そんなになかったもので。
言われたとき、周囲と自分が違うという焦りを覚えた。
その人の周りに座っていた人たちが「母親も人間なんだし、四六時中聖母やってられないって」と、同意を示したように笑いあっていた。


そして、彼女が呪いをかけた。
「そんなに優しくしてると、怒られることに耐性が付かなくなるよ」
おまえの育児は間違っている。暗にそういった。



その日の晩から、私は娘にどう接していいのか分からなくなってしまった。
自分の都合を敢て優先させて、駄目、待ちなさい、そういう場面を作らなければいけなくなっていった。





それでも、そこの輪とば別に、私には娘を可愛がってくれる場所があった。




おかげで、私は自分が娘を大事に思う行動を嬉しい気持ちで行えた。
周囲が「当然」として見てくれていたからだと、今、痛感している。





実家に入るまで。
本気で思っていた。


娘が産まれて来てくれた時、どれだけ幸せを貰ったか。
どんなに手がかかっても、お釣りがくる。
娘は親孝行完了してんだよ。と。



実家に入って、娘が膠原病になってしまった時も、そう、娘に言った。
初めて学校でいじめられて、不登校になった時も、言った。
結局学校のゴタゴタが大きくなってしまって、収拾がつかなくなった時も、言った。



この先どうなるのか、どうするべきなのか、実家に押しつぶされて動けなくなってしまった自分が、上手い事立ち回れなくて。心がすさんでいく娘にも、言った。



ずっとずっと。言い聞かせてきた。


事実なんだと、自分に言い聞かせてきた。



だけど、もう、私の周囲には、娘を好ましいものとして、当然のように囲んでくれる輪が無い。それは私が消耗戦を繰り返してしまった為に、人との繋がりを途絶えさせてきてしまったから。同じ場所にばかり、娘の苦しい出来事を持ち込んで、娘の価値をそういうものにしてしまったから。



自分が大事に思うものを、誰にも「そうだね」と賛同されずに、思い続けることが、どれだけ難しい事か。



放り投げたくなると言われた娘を。







娘が家にいる時間が怖い。
自分がどう対応するのが正しいのかわからない。






悟られないよう、口を閉ざして。
テレビを流している。

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